朝10時、京都みなみ会館に行ってきました。
この映画を紹介してくれたayabataさんと一緒です。
学校からかけられると困・・・じゃなくて、、他のお客さんの迷惑になるのでケータイはちゃんと切っておきましたよ。
古今東西の食べ物を探索・紹介しているこのブログですが、今回はそのフレームからちょっと外れて、食べ物ドキュメンタリーのこの映画を紹介したいと思います。
食べ物関係なら、ま、いっか、くらいのノリで許してください。。
・・・・・・
枝肉並木の食肉解体場、高圧洗浄ホースの洗浄音で映画は静かに始まりました。
餌である飼料を機械で浴びせられ、乳や精子や肉そのものを採取される牛。
建物の端が見えないほど大きな小屋の中一面に広がるブロイラーの群れ。
山が何個も連なるの広大な敷地を埋め尽くす果実とその間を動き回る超大型農機。
これらはこの映画の中で登場した場面の一例。
でも、確かに登場したには違いないんですが、
このように言葉にするとどうも映画の感じをしっくり表現できないのです。
理由を考えてみました。
まず、映画全体を通して、意味付けが意識的に排されています。
ナレーションや文字による映像の説明は皆無。
登場する機械の働きや作業の役割や野菜の種類や屠畜時に流れる体液など、
わけのわからないものが当たり前のように次々と静かに展開されていくだけなのです。
また、カメラの撮影視点もほとんどが固定、もしくは等速直線的な運動に終始しており、
無生物・無機質的に客観に徹しようとしているのです。
屠殺は残酷だとか食べ物は大事にしなきゃいけなとかベジタリアンがいいとか遺伝子組み換えや農業の工業化は倫理的に問題だとか人口は爆発しているとか日本の食料自給率は40%を割り込んだとかキャベツを漉き込んでもったいないとか食品の安全性が求められているとか個食が広がっているとか有機野菜とか水耕栽培とかキウイとかマンゴーとか云々かんぬん、
そんなものはこれを自分で消化できるようになってから言え、という強硬さがこの映像にはあるようです。
食べ物にまつわる作業は本質的に静的でルーチンなデイリーワーク。
つまり、日常的に、極めて静かに、感傷の踏み入る余地無く命が処理されているのです。
通常、私たちは理解できない映像を目の前に突きつけられたとき、
ストーリーや因果関係に救いを求め、その思考の逃げ道を探し、逃げ込み、そこから先を停止させるもの。
しかし、この映画に逃げ場はありません。
ただ現実を突きつけ無知を知らしめ考えさせようとしているかのようです。
私の場合、加えてこの映画に対してある恐怖を覚えました。
小さい頃、小学生くらいのときに、自転車で起伏の激しい道を登ったり下ったりしているときふと考えたことで、時間がもっとずっと経って砂でも石でも水でもなんでも落ちるところまで落ちたら地球が平らになって自転車も楽にこげるのにと思って、その終末を想像して怖くなったことがあります。つまりは、エントロピーの増大ということかもしれないのですが、この映画でも、食糧の需要や食糧としての生物の処理が指数関数的に拡大・効率化していて、あの日想像した終末の世界が目の前に展開されているような気がして、少し怖くなりました。
映画は、冒頭と同じ食肉解体場の洗浄音で終わります。
そして、また、明日も、この音で同じシステムの下で同じプロセスが始まります。
そして私たちはそれに依存しています。
原作名が、この映画の本質を余すところ無く象徴していると思います。
「Our Daily Bread」
暇があれば、是非、見てみて下さい。
2008/01/22
映画鑑賞「いのちの食べかた」
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5 comments:
加入サンクス!!
そしてレポートお疲れ~~難解な映画を軽快に表現してくれてわかりやすかった。
しかし・・・かなり考えさせられる現実です。
レビュー読みました。すげー脱帽。
一緒に映画をみにいったけど、
あのとき観ながら感じたことを
ここまで言語化できていることがまずすごい。
エントロピーの増大って、
あのときはきょとんとしてしまったけれど、
そういうことだったのね、納得です。
云々かんぬんは、
この映画を消化できるようになってから言え!
っていうくだりは特に共感です。
たべものをありがとうの会は、
映画好きも多いしどんどん食べものにまつわる、
映画が増えていくのもおもしろそうやね!
うっわ!みんなもうコメント書いてるしww
初投稿おつかれさまでした!!いやー読み応えのあるレビューだった!!
実家の近所に牛の屠殺場があって、断末魔の叫びっぽいのを登校中によく耳にしてたんやけど、妙にかわいそうとか、いたたまれないとかいう感情が湧かなくなってたのを思い出したよ。そこで働く人達があまりにも普通に作業をこなしてて。
いくら淡々といのちが奪われてても、それを享受してるだけに、そのやり方をあっさり否定できひん罪深さ。
自分は他のいのち達の上に生きさせてもらってるんやっていう事実を重く受け止めることしか、たべもの(になったほかのいきものたち)に報いることは出来ひんなあ。と、半ば諦めモードです。完全享受態勢です。
まさに『食べ物をありがとう』やね!!!いや、この場合『に』かな…。
きもちわるいほど書き込み早いですね。。笑
本文は色気が無いものになってしまいました。段落もぐだぐだだし…装飾とか入れられればよかったのですが…精進します。。
あ、この「いのちの食べかた」、本も出てるみたいです。ただ、内容が低学年向けで、この映画とは性格がだいぶ異なるのでアレですが。
>massunさん
初投稿ピースです。
無声映画に最初は面食らいましたが、そのぶん考える時間だけは2時間たっぷりありましたしねw
実際、ぼくは来年から東京で農業ビジネスに携わる事になるので、嫌でもフィールドを同じくしなければならないと考えると、なんか途方も無いことのように感じます。
でも負けないようにします!トムもジェリーもそれぞれいい味持ってるはず!
>ayabataさん
ぼくは、鑑賞直後に「じゃあごはん食べよう!」って張り切ってた貴女に脱帽です。w
映画とか本とかって切り口も面白いですよね。まただれかのそんな書き込みを期待してます。
エントロピーは響きが好きなのです。
>aiさん
まずはいろいろ手続きありがとでしたm(_ _)m
aiさんのように身近に屠畜施設があったりする人にとっては映画の見方が違うかもしれませんね。そういう感覚、すごく貴重で大事だと思います。ぼくは佃煮のためのイナゴの大量捕獲くらいですかねえ。。
あ、そういえば友達が言ってたんですけど、山本七平『「空気」の研究』って本で、日本人は生物や物質に極端に感情を移入してしまい、それがいわゆる「空気」生み出しているみたいなことが書いてあるそうです。なんか食べ物や食材に対して意思や感情があるかのように思えてしまうのもなんか肯けるような。。
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